24.幕末の薩摩藩士3


奇妙な三人での生活は、こうして始まった。

三郎は、思った以上に役に立つ人間だった。朝起きると、かまどには火が起きている。薪割りも楽々こなし、山に入ればキノコや木の実を集めてくる。裏門の蝶番(ちょうつがい)のガタつきも、屋根の雨漏りも、あっという間に直してしまう。

こんなに役に立つというのに、どうして今まで誰にも仕えていなかったのだろう。

縁側であぐらをかき、竹を細く割って、それでかごを作っている。あまりの見事な手つきに、お国はたずねた。

「昔、世話になったじい様に教わったんや」

お国に顔を向けることなく、手元を見ながら言った。

「大工仕事もかい?」

「それは、昔、大工の棟梁の家で世話になったことがあって……」

「昔、昔って、あんた、いったいいくつなの?」

お国が笑いを含んだ声で問うと、三郎はちょっと困ったように頭をかいた。

「さあ。忘れてしもうた」

「おかしな子だねえ」

三郎のひょうひょうとした調子がおかしくて、お国は笑った。

奥の座敷からは、卓堂が論語をそらんじる声が聞こえた。加代の夫正太郎が、教えを請う若者を連れて来た。昼間はひっきりなしに人が訪れて、卓堂は奥の座敷から出ることは少ない。時々お茶を煎れるくらいで、後は三郎と家のことをしながらのんびりと過ごしている。

最初は、卓堂の分の食事を奥の座敷に運んだ。けれど、卓堂は困惑した顔で、客扱いはやめて欲しい、みんな一緒に食べたいと言う。それじゃあと、座敷に三人分運ぼうとすると、今度は三郎が、座敷になんぞあがって食べられないと遠慮する。

結局三人で囲炉裏を囲んで食べることになった。

「三郎さぁは、どちらの国の生まれでごわすか」

卓堂が、三郎にたずねた。

「三郎と呼んでください」

居心地悪そうに正座をしながら、三郎が椀をすする。

「いや。お国さぁと三郎さぁは、おいの命の恩人でごわす。おいとて放浪の身、三郎さぁと何も変わりもはん」

「……生まれは、上州の山奥の村です。母親が京の出で、子どもの頃聞いた京言葉が抜けんのです」

「そうでごわすか。おいも薩摩を脱藩してずい分経つが、言葉はなかなか変わらんものでごわす」

「おかげで、卓堂先生だとすぐわかりましたよ。この辺りで薩摩の言葉の方なんて、滅多にお目にかかりませんもの」

お国がそう言うと、卓堂は豪快に笑う。

「それじゃ、変装などできもはんなあ」

博識の学者として門弟の希望が多くあるのに、気さくで偉ぶらない性格を、お国はだんだん悪くないと思うようになっていた。決して悪くはない。だけど、夫婦になりたいかと言うと、それはまた別の問題だ。

夜、三郎は母屋ではなく、馬小屋に続く離れで寝ると言って聞かなかった。

「それじゃ、何かあった時に助けてもらえないじゃないか」

卓堂を奥の座敷で休ませた後、お国は台所で文句を言った。

「でも、普通下男はそういうところで寝るもんやろう? 母屋で何かあれば、すぐ起きていけばいいて……」

「そんな離れていたら、声なんか聞こえないよ。寝ちゃったら朝までぐっすりなんじゃないのかい」

部屋は違えど、母屋でふたりきりの夜というのは抵抗があった。

「どこで寝ていても、何かあれば起きるけど」

「そんなの信じられるかい。畳に上がるのが嫌なら、物置にしている板間でどうだい。布団敷いておくからね」

お国は半ば強引にそう決めて、土間から板間に上がろうとする。

「こんな正体のわからない男を家に入れて、わしの方がよっぽど危ない気もするけど。わしがお嬢さんの寝込みを襲うかもしれんで」

「……三郎が?」

背後から聞こえた三郎の声に、お国は思わず振り返る。翌朝の朝食の準備に、しゃがんで里芋を洗っている三郎と目が合った。子犬のようにちょっとすねた表情で三郎がお国を見上げている。お国はぷっと吹き出した。

「三郎なら、大丈夫だよ。あたしは、人を見る目だけはあるんだ」

根拠は何もないのに、お国はそう言い切った。

三郎は、つかみどころのない不思議な男だ。見た目は若いのに、どこか年よりじみたことを言う。お国が間近でほほ笑みかければ、大抵の若者は顔を赤らめて目をそらすのに、三郎は表情ひとつ変えない。

よく働くけれど、金銭に対する欲もない。器用になんでもこなすのも、人と距離をとりたがるところも、苦労した生い立ちでもあるのかもしれない。

「そうやろうか」

「そうだよ。そもそも寝込みを襲うつもりの人間は、自分からそんなこと言わないもんだろう。布団敷いておくから、それが終わったらあんたも早く休みな」

お国はそう言って、草履を脱いで板間に上がった。

「お嬢には、まいるなあ……。おおきに」

三郎の困ったような、それでいて、笑いを含んだ声が聞こえた。

「長く空き家だったって聞いたけど、結構きれいじゃない」

赤子を抱いた加代がやってきて、板間に腰かけながら部屋を見渡した。

「まあね。働き者の下男を雇ったのよ」

加代が持って来た藤井屋の豆大福にお茶を添えながら、お国は言った。

裏庭で三郎が薪を割る音が、心地よく響く。

「それで、旦那様になるかもしれない方はどう? 気に入った?」

加代が顔を近づけて、小声で聞く。そのつぶらな瞳に、興味津々と書いてある。

「……そうね。見た目よりはかわいらしいところもあって、悪い方ではないと思うわよ。でも、それだけかなあ」

「あら、気のない返答」

ふふふと、加代は笑った。加代の腕の中で、赤子がすやすやと寝息を立てている。

「それなら、悪いことしちゃったわねえ。先生、何者かに襲われたんですって? 命を狙われているから、一カ所には長くいられないって言っていたけど、それは方便なのかと思っていたのよ。まさか本当に狙われるなんて……。知っていたら、お国ちゃんを巻き込むことには反対したのに……」

奥の間にちらりと視線を送りつつ、加代はさっきよりも小さな声でささやいた。加代と一緒にやってきた正太郎が、卓堂と話をしている。

「大丈夫よ。腕の立つ用心棒もいるし……。ここに来てから特に変わったこともないわ。だけど、卓堂先生はどうして命を狙われているのかしら」

卓堂に聞いても、ごまかされてしまった。

「それが、ここだけの話なんだけどね……」

お国の疑問に、加代が近付いて続けた。

「先生は、大塩平八郎(おおしおへいはちろう)の門弟だったんですって!」

「まあ……」

陽明学者でもあった大塩平八郎は、幕府の役人でありながら、大坂で貧しい人を救うために謀反を起こした。数年前の出来事だが、役人が起こした大きな謀反というのは衝撃的で、お国の記憶にも残っている。

「乱の後、役人の追手を逃れるためにあちこちを放浪しているんですって」

「さすが、耳年増の加代ちゃん。なんでも知っているわね」

そんな剣呑な話、正太郎だって、軽々しく話すわけはないだろう。

「へへへっ」

お国があてこすると、加代がぺろっと舌を出し、豆大福にかじりついた。加代は昔から噂話が大好きで、情報を集めることにたけていた。知りたい欲求が我慢できないのだ。戦国の世なら重宝されるくノ一となっただろうが、太平の世ではあまり感心されない。

加代のこういう性分を知っているのは、お国だけだ。

「でも、それが本当だとすれば、父上があんなに縁談に乗気になるかしら……。関所番なら、おたずね者には詳しいはずよ」

「あら、それもそうね」

加代が小首を傾げ、ちょっと上を見るようなしぐさをした。加代が興味を示した時に見せるくせだ。

「そう言えば……」

覆面の五人の男に襲われた時、卓堂が一瞬驚いたような顔をしたことを思い出す。あれは、何に驚いたのだろう。

「え? 何? 何かわかったの?」

加代が目を輝かせる。お国は、加代の抱いている赤ん坊の安らかな寝顔を見た。関心のあることなら、何でも突っ走る加代だ。危険な相手にうっかり近付かないとも限らない。

「ううん。何でもない」

「ふうん」

お国が首を横に振ると、加代はつまらなそうに鼻を鳴らした。納得したようには見えなかったが、お国の口を割るのは難しいと思ったのだろう。

「お嬢。薪、運んでおいたけど。他に何か……」

勝手口の方から、三郎の声が聞こえた。いつの間にか、薪を割る音が消えていた。

「ありがとう。あ、そうだ。甕に水を足しておいてもらえる? さっき正太郎さんがみえて足を洗ったから」

心地いい返事をして、三郎が顔を出した。加代の方にちょっと頭を下げ、土間においてあったたらいを持って外に出る。

「……お国ちゃん。あれが、例の用心棒?」

「そうよ」

「あんなに若くて、華奢な子で大丈夫なの?」

加代が目をまん丸に見開いて、三郎の出て行った戸口の方を見ている。

「ああ見えて、三郎はなかなかの腕だから……」

加代がにやにやしながら、お国の方に流し目をよこした。

「なによ……」

「お国ちゃん、昔から男は強くてたくましくないとって言っていたけど、実はああいう優男が好きだったのね」

「そんなんじゃないわよ」

「だって、前の旦那さんもあんな感じだったじゃない?」

「全然違います!」

思わず大きな声が出て、赤ん坊がびくっと身体を震わせる。加代がしいっと人差し指を立てて、お国は唇の動きだけで『ごめん』とささやいた。

「この辺じゃ見かけない顔だけど、今までは何をしていたの?」

「さあ……」

「さあって、何も知らないで雇ったの?」

加代が信じられないという顔をした。

「でも、とっても良くしてくれるのよ。腕っぷしも確かだし……」

実家にいるどの下男よりも気が利くし、お国の望む以上に働く。むろん寝込みを襲ってくることもない。お国の居心地のいい距離で、つかず離れずそばにいてくれるのだ。

「ふうん……」

言い訳を口にするようなお国を見て、加代が歌うように鼻をならした。

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