21.へそ岩の贖罪6
夕飯のメニューは、ナスづくし。ヒロさんが、ビニール袋いっぱいのナスを持ってきてくれた。夏の太陽の光を十分あびたナスは、はち切れそうなほどつるんとしたあざやかな紫色だ。多めの油で焼いたナスは、手間がかからない割にお父さんたちに好評だ。ショウガ醤油をからめてもいいし、鰹節やマヨネーズでもいい。味も変えられて飽きない。
「はい。どうぞ」
茹でた枝豆で一杯始めているお父さんとヒロさんのテーブルに、焼きナスを置く。黄緑色のきれいな枝豆とビールは、ヒロさん持参だ。
「おお、美味そう! ありがとう! 妃芽ちゃんは、いい嫁さんになるよなあ。かわいいし、もう彼氏とかいるんじゃないの」
一杯目で既にテンションの高いヒロさんの言葉に、リビングでテレビゲームをしていた涼くんが、ピクリと反応する。こわばった顔でこっちを見たのを、私は気付かないふりをする。
「いやあ。うちは奥手だから。そういう話はさっぱりだよ。なあ、妃芽」
「うん」
お父さんの言葉にうなずく。こういう時、鈍感な男親って助かる。美紅の顔はあえて見ないようにした。
焼きナスは大人には好評だけど、美紅と涼くんには評判が悪い。もう一品、スライスしたナスに特製味噌をサンドして豚バラ肉で巻いた、なすの上州焼きで涼くんの機嫌をとろうと、味噌に砂糖とみりんを混ぜる。涼くんも美紅も、野菜を豚バラ肉で巻くと、パクパク食べるから不思議だ。じゅっとお肉と味噌の焼けるいい匂いが漂う。
あとは、茹でたインゲンが冷蔵庫にあるから、ハムとトマトと一緒にサラダを作ろう。そう思って、冷蔵庫を開けた。
『このフロウはうまいなあ』
ラップの下の緑色の野菜を見て、三郎の言葉を思い出した。
『前に世話になっていた爺さんが、こいつをよく食っとったんや。『フロウ』って名前だから、不老不死の薬になるって言うてな』
これが不老不死の薬になって、少しでも三郎と一緒に長くいられたらいいのに……。
私は一番大きなお皿に、たっぶりのインゲンを盛りつけた。
「妃芽ちゃんって、本当にインゲン好きだよねえ」
緑の割合の多いサラダを見て、美紅が呆れた声を出す。
「いいじゃない。おいしいし……。たくさんもらったんだから」
鋭い美紅に心を見透かされていたんじゃないかと、内心焦りながらテーブルについた。
「そうそう。ビックニュースがあるんだ」
顔を赤くしたお父さんが上機嫌で言った。
「岩櫃山の潜龍院(せんりゅういん)で、コマーシャルの撮影をすることになったんだ。しかも、出演はあの桜川あゆみ!」
「ええ! 本当?」
最初に食いついたのは、美紅だ。
「桜川あゆみって、雑誌の美少女コンクールで優勝した子だよね」
「そうなの?」
美紅に振られても、私はピンとこなかった。名前は聞いたことがあるけど、顔は浮かんでこない。
「前の大河ドラマにも出ていたじゃん。母親違いの娘の役で……」
「ふうん」
涼くんが言った言葉にも、あいまいな返事をするしかない。
「お茶のコマーシャルなんだけどさ、マイロックタウンとコラボして、ポスターとして町の宣伝もかねてもいいっていうんだ」
「へえ。そりゃ、頑張ったなあ。なかなかできることじゃないだろ」
ヒロさんが手放しでほめると、お父さんが相好を崩す。
「それで、町の人にもエキストラで参加して欲しいって要望があってさ」
「やった! 私、出てあげる!」
お父さんの言葉に、美紅が真っ先に手を挙げる。
「美紅はダメ」
「え~!」
「中学生はダメなの。撮影は夕方からだし、浴衣で潜龍院まで自力で来られる人。あと、眼鏡とか携帯は禁止……。昔の村の人々って設定だから」
インゲンを口に入れながら、前回密岩神社に行った時に見た案内板を思い出した。確か潜龍院は、駐車場から徒歩15分はかかる。下駄なんか履いて行くのは大変かも。
他人事のような気分で、私は大皿のインゲンに再び箸を伸ばした。
「参加対象は、高校生以上だから、妃芽、協力してくれないか。友だち誘ってさ」
「え?」
突然話を向けられ、私はつまんでいたインゲンを落としそうになった。
「妃芽ちゃんはダメだよ!」
そう言ったのは、涼くんだ。
「人前に出るの苦手だし、そういう出しゃばりな友だちはいないよ」
ぶっきらぼうな言い方で、フォローしてくれる。苦手なことの多い私を、こんな風にさりげなくかばってくれたことが、今までも何度もあったのだろう。
「うん。ごめんね、お父さん。でも、そういうの好きな子もいると思うから、きっとたくさん集まるよ」
「そっかあ。学校にチラシでも配れればよかったんだけど、夏休みだしなあ……。まあ、地元の新聞にも載るから大丈夫だろう」
だんだん明るい口調になったお父さんは、焼きナスをおいしそうに口に入れた。
「あ~あ、つまんない」
「でも、浴衣で山道を歩くんだよ。結構きついと思うよ」
文句を言う美紅をなだめようとすると、美紅はぱあっと顔を明るくして言った。
「じゃあさ、潜龍院やめて、七不思議の山ですればいいじゃん。あそこなら車で行けるしさあ。いい雰囲気だったじゃん」
「ああ、あそこね……」
「どうかしたのか?」
お父さんの顔がちょっとだけ曇ったのを、長年の付き合いのヒロさんは、見逃さなかった。
「観光で使えたらって、個人的には思っていたんだけどさ。この間、お偉いさんの会議で決まっちゃったんだよね」
「何になるの?」
大場の七不思議の山は、三郎の故郷だ。私は、思わず身を乗り出した。
「ゴミ処理場の移転先に決まりそうなんだ。たぶん、決定だと思う」
「……」
ゴミ処理場という言葉に、箸が止まった。胸が凍り付く。
「ええ~。つまんない」
美紅がサラダからハムだけつまんで口に入れる。
「観光も大事だけど、生活に欠かせないものだからなあ。……今の処理場ももう古いし、周辺に住宅地ができて苦情も多いそうだし……」
ヒロさんの言葉は頭では理解できたけど、気持ちがついていかなかった。
訪れた時のピンと張り詰めた空気。汚してはならない特別な場所だと、感じたのに。三郎は、このことを知っているのだろうか。
◆
夜、寝苦しくて目を覚ました。エアコンの風が苦手な私は、窓を少しだけ開けて寝ている。もう少し窓を開けようと、ベッドから下りて窓際に立った。
満月が出ていて、窓の外は意外なほど明るい。
三郎に会いたい。会ってたずねたい。三郎の生まれ育った場所が、人間の出したゴミを燃やす場所になることを、知っているのだろうか。たくさんの人があの山に踏み入ることになるかもしれない。そうしたら、三郎はどうなるのだろう。
会いたいけれど、会う術を持っていない。また会ってくれるかと聞いたら、わからないと答えた三郎は、もう二度と会うつもりはないのかもしれない。
『その人、妃芽ちゃんと別れるのが辛いって言ってるんでしょ。それって、妃芽ちゃんのこと好きってことじゃん』
美紅に言われるまでもなく、抱きしめられ髪をなでられた時の手の優しさに、三郎の気持ちがあふれていた。
『勘弁してや。こういうのは、やめてくれと、前も言ったやろう』
三郎の低く吐き出すような声の振動を、おでこで聞いた。
好きだけど、これ以上一緒にいたら別れが辛くなるから一緒にいられない。だから、やめてくれと言ったのだろう。
「……!」
窓から風が吹いてくる。その風の涼しさに初めて気が付いた。
『こういうのは、やめてくれと、前も言ったやろう』
いつ三郎は言ったのだろう。咲の時には、そんなことはなかった。咲が三郎に対して恋心を抱くと同時に、三郎は去って行った。
天明の災害で命を失ったもうひとりの私には、三郎はこっそり会いに行っただけだ。
「……他にも誰かいるんだ」
前世で三郎と恋に落ちた人が他にもいる。そして、そのことを三郎は私にあえて言わなかった。
意外なほど明るい満月に照らされた風景。踏切のところに光る電灯。その近くにある赤い社。柳の木の下の卓堂碑。
『おいと三郎さぁとお国で、一緒に暮らしたことがあったでごわす』
もうひとりいた。あの石碑は、お国という人と三郎が一緒に暮らしていたと言った。
いてもたってもいられなくて、パーカーだけ羽織って外に出た。
昼間雨が降ったせいか、家の外は涼しかった。上空は風が強いのだろう。雲の塊が西から東へ動く。
いつもならこんな夜更けに外に出ることはない。お父さんに気付かれたら心配して怒られるだろう。
それでも、月明りに励まされ私は駆け出した。
「ねえ。おじさん。起きている?」
シンと静まり返った社の前で、私は小声で話しかける。
『わしらは、眠ることなどありもはん』
笑いを含んだ声で、石碑が答えた。
「お国さんって人のことを教えて欲しいの」
『いつ来るかと、待っとった。おはんは、お国によう似とる。きっとお国も、おはんに伝えたいことがあるでごわすよ』
「私に、伝えたいこと?」
『そげんこつ、あの社の中に、大事にあんなものをしまっちょるでごわそ』
カタンと錠が外れる音がして、赤い社の戸がほんの少し開いた。この社が何なのか、近所なのに知らないでいた。この社のまわりは、いつも人影がなくひっそりとしている。
「入っていいの?」
『ああ。おいの知らんお国と三郎さぁのことも、教えてもらえばよか』
三郎の名前がでて、迷いが消えた。こくりとうなずき、社の戸に手をかけた。
「……!」
ゆっくりと戸を開けると、月の光が建物の中に入った。仏像かなにかが設置されているのか、それとも日記がしまわれているかと想像していた私は、思わず息を飲んだ。身体が震え、足がすくむ。
その小さな社の中には、人の背丈ほどの直径の岩が鎮座していた。
「なぜ、こんなもの……」
ぞっとした。それは、間違いなく浅間石だ。
天明の大噴火の際に浅間山から飛び出し、吾妻川の氾濫とともに沿岸に取り残された浅間石は、今でもいくつか見ることができる。けれど、田畑や人家造成のためだいぶ数が減ったと聞いたことがある。
なぜこの岩が、こんなところにしまわれているのか。それでも、これが後の世に生まれ変わる誰かのために、残したかったものだとすれば……。
震える足を、一歩前に出した。
月の明かりで、自分の影が岩にかかった。それだけで、心臓が震えあがる。体中に残っている勇気を振り絞って、私はごつごつとした岩の表面に手を触れた。
その浅間石のそばで、お国は三郎と出会い、そして、別れたのだった。
21.へそ岩の贖罪6