20.へそ岩の贖罪5


「今日はどこに行っていたの?」

部屋で、ドライヤーを使って髪を乾かしていると、美紅が麦茶の入ったコップと名水ゼリーをふたつ持って来た。興味津々という瞳で、私の前にコップを置いて、正座する。

「へそ岩を見に行ったの」

「ふうん。いい写真撮れた?」

「それが、……写真を撮る前に大雨になっちゃって……」

「なんだあ……。残念」

大げさに残念がって、美紅はベッドに寄りかかった。美紅の宿題は、そう言えばあまり進んでいそうにない。

「美紅も、今まで写真撮ったものだけでもノートにまとめておいてよ」

ついお母さんっぽい口調になりながら、麦茶を口に含んだ。

「それで、妃芽ちゃんの好きな人には会えたの?」

楽しそうにたずねる美紅に、私は思わず麦茶を吹き出しそうになった。

「な、な、な、な、なんで……、そ、そんなこと、一言も言ってないじゃない」

慌てる私を、美紅がにやにやとした顔で見上げている。

「だって、妃芽ちゃん、最近変わったもん。この間お父さんと岩を見に行った頃から。友だちと出かけてくるなんて言ってさ、おしゃれして出かけることなんて、今までなかったじゃん」

一緒に暮らしている妹とはいえ、中学生から見てもお見通しなんて情けない。力が抜けて、ちょっとだけ素直になれた。

「……わかる?」

「わかるよぉ。でも、それでいいんだと思うよ。妃芽ちゃん、最近きれいになったもん」

ベッドにもたれながら、美紅は言った。

「……そうかな」

「涼くんだって、うすうす気付いているよ。だから、あんなに機嫌悪いんでしょ?」

「……涼くん、機嫌悪いよねえ」

ため息がこぼれた。毎日顔をあわせる関係なのに、このまま過ごすのは気まずい。

「涼くんのことはさ、ほっとけばいいんだよ。仕方ないじゃん。涼くんがいくら妃芽ちゃんを好きだってさぁ、妃芽ちゃんは全然その気がないんだもん」

「そんなことまでわかるの?」

美紅のあまりの言い草に、私は思わず聞き返した。全然その気がないなんて、相手の気持ちを考えたらなかなか自分では口にできない。けれど、他の人の口からその言葉を聞いたら、すとんときた。胸の中にすとんと。

「そんなのわかるよ。完全に涼くんの片思い。妃芽ちゃんは、涼くんのことは、あたしと同じ妹か、近所のガキんちょとしか思ってないもん」

「……妹ってことはないよ。せめて、弟?」

「そんなのどっちだって一緒だよ。家族同然ってことは、男としてこれっぽっちも見てないって事じゃん。近所のガキんちょの方がいくらかマシ!」

美紅の言い方は辛らつだ。

「涼くんさあ、後輩からは結構モテるんだよ。でもさ、妃芽ちゃん以外眼中にないから、女子にすごく冷たいの。中学生女子なんて、ぶーぶーうるさいブタくらいにしか思ってないんだから。そこがクールでステキなんていう子もいるけどさあ。同級生からは、女子高生好きの変人扱いされているよねえ」

「……そうなんだ」

「みんな妃芽ちゃんのせいだからね」

「それは、申し訳ない」

何と言っていいかわからず、とりあえず謝ると、美紅はぷっと吹き出した。

「妃芽ちゃんって、ホント天然!」

楽しそうに笑う美紅を見ながら、麦茶を一口ごくりと飲んだ。

「別に、妃芽ちゃんが悪いんじゃないじゃん。涼くんが、変にこだわって、勝手にとらわれているだけなんだからさ」

「……」

陽気にしゃべる美紅の言葉が、胸に刺さった。この子は時々、無駄に鋭い。

涼くんは、とらわれているのだ。あるはずもない前世の記憶に。だから、涼くんの私に対する想いが、恋かどうかはわからない。ただ、固執して身動きが取れなくなっている。

それは、私にも当てはまるのかもしれない。初めて会った時からなつかしいと感じ、こだわらずにはいられなかった三郎という存在は、前世の辛い別れをただ引きずっているだけなのではないだろうか。

「だからさ、涼くんのことは気にしないで、幸せになって欲しいんだよねえ。今日も、会ってきたんでしょう? 妃芽ちゃんの好きな人と!」

「……会えたんだけど、……ふられちゃった」

「うそぉ!」

観念してそう言うと、美紅はがばっと飛び起きた。

「本当」

一度口にすると気持ちが楽になった。

「けっこう勇気を出して頑張ってみたんだけどね。……そういうのは、やめてくれって。はなれるのが、お互い辛くなるだけだからって、はっきり言われちゃった」

「……」

美紅がぱっちりとした目を、さらに丸くして見つめている。私は、口元に笑みを意識して、冗談ぽく続けた。

「私、高校生にもなって誰とも付き合ったことないし、好きな人もいなかったでしょう。急に頑張っても、ダメね」

「妃芽ちゃん、わかってないなあ」

「そうなの、どうしていいかわからなくて……」

「そうじゃなくて!」

美紅が前のめりになって、手を床についた。

「全然ふられてなんかいないよ。その人、妃芽ちゃんと別れるのが辛いって言ってるんでしょ。それって、妃芽ちゃんのこと好きってことじゃん」

「……だって、もう会えないかもしれないのに」

「そんなの! なんか理由があるかもしれないけど。でもさ、妃芽ちゃんは、その人から好きでいてもらってんじゃん。幸せだよ。涼くんみたいに、眼中に入ってない人だって、世の中たくさんいるのにさ」

美紅は、真剣な顔をして言った。

「そうかなあ」

「そうだよ!」

自信を持ってそう断言されると、本当にそんな気持ちになってくる。

抱きしめられて、髪をなでられた時の手のひら。あの瞬間、三郎は私を愛おしいと思ってくれていたと信じられる。

「まったく、妃芽ちゃんは鈍感だなあ」

美紅がそう言って、ちょっとむくれた顔をしてみせる。中学生の妹とこんな風に恋バナをするなんて、ちょっとくすぐったい。

「もしかして、美紅も好きな人いるの?」

「いるよぉ」

当然って感じで、美紅は胸をはった。

「妃芽ちゃんと違って、全然相手にされてないの。ホント眼中にないって感じ。目の前にいても、時々視界に入っているかって思う時があるよ」

美紅はそう言って両手を顔の前で振った。話の内容にしては、あっけらかんとした表情なのが美紅らしい。

「だからさ、頑張ってみなよ。私さ、最近の妃芽ちゃんの方が、前よりも結構好きだよ」

「……うん」

元気づけるために、妹はわざわざ部屋に来たのだろう。

「ありがとう、美紅。美紅も頑張って」

「うん!」

そう言うと、妹は満面の笑みでうなずいた。

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