7.岩櫃落城伝説3


プチリ、プチリと、若くやわらかい茎を指で折る。夏の太陽をいっぱい浴びて大きくなったインゲンは、私の大好物だ。

「だからさ、町が何をやりてえんだか、いまいちわかんねえんだよ。行政と民間が足並みをそろえる必要があるって言ったって、説明不足なんじゃねえんかい」

ダイニングテーブルをドンと叩く音。お酒が入って熱が入った声の主は、涼くんのお父さんのヒロさんだ。

「どうせ、どっかのコンサル会社にそそのかされて始まった企画なんだんべ? 町民の意志を反映してねえんだよ」

「だから、おまえに頼んでいるんだろう。商工会に全面的に協力してもらってさ」

お酒に弱いお父さんは、真っ赤な顔で手を合わせた。

ヒロさんは、町の商工会に勤めている。お父さんとは、幼稚園から高校まで同じクラスという腐れ縁らしい。

涼くんのお母さんは看護師だ。夜勤の日に、ヒロさんは差し入れと一緒に我が家を訪れて、うちで夕ご飯を一緒に食べることが多い。

今日は、人数分の寿司と一緒に、インゲンをたくさん持ってきてくれた。名物のギンヒカリのお寿司と豆乳の入ったいわびつ汁の夕食を一足先にごちそうになった私は、リビングテーブルの前に正座して、インゲンの筋取りをしながら、ぼんやりと酔っ払いの話を聞いていた。

「民間が一緒に盛り上がらないと、大河ドラマの二の舞になっちまう。そこは、商工会の出番だろうって」

懇願するお父さんの言葉にそっぽを向きながら、ヒロさんはビールの入ったグラスを空ける。

「大河ドラマの時さ、上田城とか沼田城とか見に行ったじゃん。どっちもドラマに便乗した土産品とかB級グルメとかあるのに、うちの町はほとんどなかったもんなあ。せっかく岩櫃山がオープニングで使われたのにさ。真田グッズをガンガン作って売りだせばよかったのに」

リビングのテレビで、美紅とゲームをしている涼くんが話に加わった。戦国もののゲームが好きな涼くんは、戦国武将に詳しい。

「だけどさあ、あん時の密岩神社のおもてなし。あそこに六文銭ののぼりを立てるのは、おれ的には違和感があってさあ。あそこは斎藤氏の奥方を祀った神社だよ。パワースポットとか、絶好の撮影ポイントっていうのはわかるけど、あそこに六文銭はいかん」

ヒロさんが言った言葉に、私は思わずインゲンの筋取りの手を止めた。力が抜けたせいか、思いがけず長い筋が右手に残る。

「オヤジは、マニアックだからなあ。全国的に真田がメジャーで、せっかく真田ゆかりの地って注目されるチャンスなんだからさ。細かいことは目をつぶっていかないと」

「いや。そこはこだわらなきゃ。真田に攻められて敗れた斎藤氏の悲劇の場所だって、斎藤氏の旗を立てるべきだったんだ!」

「まあまあ」

涼くん以上に歴史好きなヒロさんの熱くなった声を、お父さんがなだめる。

「斎藤氏って、真田に滅ぼされた後どうなったの? 奥方やその子どもたちは……?」

そう問いかけると、ヒロさんが意外そうに私の顔を見た。

岩櫃城に、真田の六文銭の旗印が押し寄せる。怒号と熱風から逃された兄と妹。城に残った美しい奥方。三郎は『それは夢や』と言ったけれど、全身が恐怖と悲しみに震えた。

「へえ。妃芽ちゃんが、歴史のことに興味持つなんて、めずらしいじゃん」

涼くんがうれしそうに振り返る。

「そうだよ。特に、今の若い子は地元の歴史を知らなすぎる。テレビゲームでしか歴史を学ばねえんだから。歴史上の人物が、みんなそろってイケメンなはずねえだろ」

酔っぱらったヒロさんが、リビングの画面を指さした。画面いっぱいに映し出されたゲームの真田幸村も伊達政宗も、八頭身の美青年だ。

「いいじゃん。イケメンの方が、感情移入できるし~」

コントローラーを持った美紅が、そう言って笑う。

「城主斎藤憲広(さいとうのりひろ)は、真田に攻められて越後に逃げたと言われているよ。息子の城虎丸は、岩櫃城から中之条町の嵩山(たけやま)城に逃げたけれど、結局滅ぼされて死んでしまったんだ」

「……そう」

兄上様は死んでしまったの……。お父さんの説明を聞いて、胸が痛んだ。

「奥方も一度は逃げたんだけど、当主が再び岩櫃に戻っているという噂を聞いて、再び岩櫃山に戻って来たんだ。けれど、そこにあったのは真田の六文銭の旗。それを見た奥方は絶望して自害した。その奥方を祀ったのが密岩神社だ。だから、そこに六文銭を掲げるのは、おれは抵抗があるんだよなあ」

ヒロさんは、そう言ってビールを飲み干した。

「もっとも本当の神社は、岩櫃山の山中にあるんだ。落石の恐れがあるから通行止めになって、地元の人たちがあの場所に移築したのが、今の密岩神社」

「ふうん。あそこは、斎藤氏の奥方を祀った神社なんだ……」

お父さんの説明を聞いて納得した。だからこそあんな映像を見たのだ。岩櫃の圧倒的な迫力の岩肌は、心を閉ざす暇もなく訴えかけてきた。四百年前に起こった悲劇を伝えるために。

「密岩神社のおもてなしは、民間のボランティア団体と役場の有志がよくやってくれたと評判だったよ。ただ、涼くんの言う通り、土産物やグルメで儲けることも考えるべきだったんだ。店がもっと便乗してくれればなあ。無料のスタンプラリーだけじゃなく、商品を買ったらスタンプをもらえる仕組みとかさ」

「そんなこと言ったって、準備期間が少なすぎたんだよ。行政からの支援もねえしさあ」

「そう言わずにさ、岩カードの配布に協力してくれよ。商品購入の方には、岩カード、プレゼントってさ」

「だけどさ、岩っていうと岩櫃が代表だろう。あとは坂上(さかうえ)のへそ岩か……。どっちにしても、原町、岩島、坂上中心になっちまう。旧町村の五町村、平等に興味を引く企画でないと、どっかから必ず不満がでるんだよなあ」

「いつまでも旧町村にこだわっている場合じゃねえよ。うちの町は金儲けが下手だって、前から言われているだろう。現状を打破しようや」

プチ、プチと心地いい感触を指先に感じながら、お父さんとヒロさんの言い合いを、どこか遠くで聞いた。

城虎丸の妹、あの姫君はどうなったのだろうか。炎から逃れるように、抱き抱えられた力強い腕のぬくもり。その人は三郎にそっくりだった。

岩櫃の岩肌が、四百年前の幻影を見せたのは理解できた。

けれど、どうしてそこに三郎がいたのだろうか。夢の中に、三郎にそっくりな人が出てくるなんて……。それだけ、会いたいと思っていたってことだろうか。

『他の人は連れて来んでくれるか』

別れ際に告げられた言葉の真意はわからなかった。問い返す暇もなかった。

『ふたりきりならええってこと』

それは、ふたりきりで会いたいってことなんだろうか。つまりデートってこと?

かあっと、耳たぶが熱を帯びた。インゲンを折る指の動きが早くなる。

今までは、たまたま偶然危ないところを助けてもらった。でも、明日は、時間も場所も決めて会うのだ。よく考えたら、男の人とふたりででかけるなんて初めてだ。

何を着ていけばいいんだろう。私たちは、岩の写真を撮りに行くんだもの。山の中を歩くこともあるだろう。おしゃれをしすぎて、ひとりで浮いたら気まずいし……。

「なあ。妃芽ちゃん! インゲン、まだ茹でるの?」

「え?」

涼くんに指摘されて気が付くと、ボールにインゲンが山盛りになってあふれている。

「どんだけ好きなの」

「いいでしょ、別に。たくさん茹でておけば、いろいろ使えて便利なの」

呆れ顔の涼くんに、私はそう言って立ち上がる。

新鮮なインゲンを茹でると、緑が増す。そのままマヨネーズをかけても、おかかを和えてもおいしいし、他の具材と炒めてもいい。ちょっと手間だけど、豚肉やベーコンで巻いて焼くと、美紅は喜んで食べる。

でも、さすがにちょっと多かったかなと、ボールを持った重みで思った。

キッチンに向かい、家にある一番の大鍋に湯を沸かす。それでも二回に分けた方がよさそうだ。

いつの間にか静かになったと思ったら、お父さんが酔いつぶれてテーブルに突っ伏している。ヒロさんが日本酒に切り替えてちびちびと飲んでいた。

ゲームに飽きたのか、美紅が音楽番組にチャンネルを切り替えた。

「さっきの、斎藤氏の家族の話の続きなんだけどさあ」

涼くんが、キッチンカウンターの向こう側に腰かけた。

「斎藤氏に姫がいたって話があるだろう?」

「うん」

インゲンをざっと洗い終わって、思わず真剣に涼くんを見返した。

「城から出たんだけど、結局逃げきれなくて、捕まるよりはって、家臣の手で殺されたんだってさ」

「……」

指の先が途端に冷たくなった。

「そう……」

家臣の手で殺された。その家臣は、三郎なのだろうか。

目をつぶり、思い出す。

……夕方になり、疲れ切った身体。ふたりの家臣に連れられ、山をかき分けて逃げる。振り返ると夕闇の中に真っ赤に燃える空。城は落ちたのだろうか。父上や母上はどうなったのだろうか。迫る闇、どこからか聞こえる追手の足音。

『もう駄目だ。敵に見つかる前に姫様を』

切羽詰まった家臣の声を頭上で聞いた。見上げた顔には、深い皺が刻まれる。白髪交じりの髪とひげ。じいやと呼んで親しんだ老人だった。

『姫様、ご免!』

絞りだした涙声を最後に聞いた。

「まだ、ちっちゃかっただろうに、気の毒にな」

涼くんの言葉に、我に返った。

そうだ。まだ幼かった。殺された姫は。どうして私はそれを知っているのか。シンクに置いた指が震えていた。

「どうした、妃芽ちゃん。顔が真っ白だけど」

「ううん。大丈夫」

涼くんの心配そうな顔に、首を振って答えた。

「真田のものになった岩櫃だけどさ、その後天狗が出たっていう伝説があるんだってさ」

「天狗?」

カラスにしては、大きすぎる黒い羽根を思い出した。七不思議の舞台で拾ったあの羽根は、なぜか捨てられずに、勉強机の上のガラス瓶に立ててある。七不思議の主人公の大場三郎も最後は天狗になったと書いてあった。

「うん。斎藤の殿様が天狗になって帰って来て、真田を見張っているっていう風に人々が噂したんだってさ」

「ふうん。でも、どうして涼くんがそんなことを知っているの?」

「クラスの友達に聞いたんだ。六年生の時に、遠足で岩櫃山に登ったじゃん」

「うん」

母校の小学校は、六年生の遠足で岩櫃山に登る。城虎丸が亡くなった嵩山には、四年生が登る。

「その時に、何人かが蜂に刺されて大騒ぎだったんだけどさ。蜂に刺された中のひとりがこっそり教えてくれたんだ。そいつの御先祖が、姫様を殺した家臣だったんだって。だから、そいつの家は代々岩櫃山に登ると悪いことが起こるって言われていて、登るの嫌だったんだってさ」

「御先祖のせいで、蜂に刺されたって言うの?」

さすがにそれはないだろうと、呆れた思いが声に混ざったのだろう。涼くんが右の眉を吊り上げた。

「おれも、そんなの偶然じゃねえのって言ったんだ。蜂に刺されたのは、そいつだけじゃなかったし」

「でしょう?」

「でもさ、そいつのお父さんは崖から滑って骨折したし、兄ちゃんは弁当があたって、腹を壊したんだって」

「へえ。大変ね」

「ああ。あんな山の中で腹壊したんじゃたまらねえよな。そいつも、蜂に刺されたくらいでよかったって言っていたよ」

真顔な涼くんの言葉に、私は思わずくすりと笑った。蜂に刺されてよかっただなんて、馬鹿げている。

「きっと殺した姫様に呪われているんじゃないかって……」

「それは、ないよ」

きっぱりと断言できた。大切に育んでくれた年老いた家臣を、姫君は少しも恨んでなどいない。

「その家臣は、姫様を殺してしまった後悔をずっと引きずっていて、自ら暗示をかけてしまっているだけなんだと思うよ。子どもや孫たちにもずっと言い聞かせて、子孫の代まで信じさせるくらい。その家臣は辛かったんだね」

コンロにかけたたっぷりの水から、泡が沸き上がってくる。

「……見てきたみたいなこと言うんだな。妃芽ちゃん」

驚いた目をしてこっちを見ている涼くんが、ぽつりと言った。

「ただ、そう思っただけ。……祟りなんて、今の時代にありえないじゃん。四百年も前のことでさ」

笑ってごまかした。思わず目をそらして泡玉を見る。後から後から生まれてくるはかない泡のように、胸の中に新たな感情があふれてくる。

見てきたみたいに……。涼くんが言った言葉がすとんと理解できた。

姫君が殺される直前の、あの年老いた家臣の辛そうな顔を見た。不思議とそんな確信があった。

「そうだよなあ。今度友達にも言っておくよ。そんな祟りなんてことあるわけないしな」

涼くんがひとり言のようにそう言って、テレビに視線を移す。

美紅の好きなロックバンドのやかましい音楽が、リビング全体に響いていた。

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